久ブロ

自分の興味や、思い出したことを書いています。

ニューヨーク大会1日目

さあ、夏の世界大会に向け、今年はできるだけ事前に大会に出場し、調整をしていくのです。何しろリベンジなので。。大会前に私は誕生日がありまして、その時に、年齢枠でひとつ上のクラスに行けるのですが、今年は前回と同じひとつ下のクラスで行く予定。自分のクラスでもっとも若い選手ではなく、一番年寄りとして戦うわけです。

 

そんでもって、調整大会として、まずニューヨーク大会の1日目を終えました。ニューヨーク大会は、私にとっては思い出の大会。実はコロナの影響もあり、ニューヨークでは柔術の大会がずっと中止されていて、昨年から復活したものの、私はスケジュールの都合で参加できなかったのです。

ニューヨーク大会は、私が柔術ではじめて試合に勝って、同時に優勝した大会でもあります。白帯の頃だったのですが、私はなんと柔術をはじめてから6ヶ月で最初の大会に出場します。基本、私はとってもLAZYでして、大会とかがないとあまり練習しない性格なのです。

で、試合や大会は出るものの、7連敗します。さすがに才能ないなーと思い、柔術止めようかとも思ったのですが、ニューヨーク大会でなんとか初勝利をして、そのまま優勝。この勝利がなければ、もしかしたら、今まで柔術を続けていくことができなかったかもしれない。ニューヨーク大会は、そんな意味で、私にとって大切な大会でもあります。

 

久しぶりのニューヨーク大会ですが、自分のクラス(年齢、体重)には対戦相手が居ない!!残念。。ま、戦わずして、金メダル。この年齢になりますと、体重キープが難しいのか、身長が同じくらいでも、皆ひとつ上のクラスに行ってしまう。ひとつと言ってもですね、だいたい5キロ違う。

ひとつ上で出るか、それとも無差別(オープンクラス)で出るか考えますが、今回は無差別でやることに。自分のクラスで2位?3位?までだと、オープンへの出場が可能となります。

ここでもラッキーで、私は何と1番シードとなります。5人出場なので、いきなり準決勝なのです。

準決勝は、相手はMedium Heavy。道着きて195ポンド以下なので88キロかな。私は、道着着て132(60キロ)くらいなので、まー30キロくらい違う。

でも準決勝は、7−0で勝利した。

決勝は、相手が何とSuper Heavy。。222ポンド以下なので、100キロ!!体重差、40キロですね。

結構頑張ったのですが、最後私が仕掛けたところを、ぶん回されて、アドバンテージを取られてしまった。。結果、0ー0でしたが、1アドバンで相手の勝利。私は下(ガード)をやってて、パスされない自信はありましたが、あのまま試合が終わっても、私がハーフガードの体勢のため、審判の判断で、相手の勝ちになるのです。なので、最後仕掛ける必要がありました。で、ぶん投げられたw。

 

見てください。このサイズ感。いや、スモール過ぎるでしょ。

今回タフだったのは、相手が大きいとはいっても、皆フィットというか、おデブちゃんではなかったということ。服脱いでた時、全員がかなりのマッスルだったので、「あー、ちゃんと練習してるな〜。やばいな〜。」と思った。おデブちゃんだと、時間稼ぎすれば、相手が先に疲れてくれる。でも、今回の相手は、まったく疲れてくれない。

ちなみに、私の最大の弱点はスタミナです。これは、若い頃からで、何しろスタミナがない。よく父親からは、口呼吸なので(鼻詰まり)スタミナが弱いと言われていた。

そんでもって、マウスピースするでしょ?!もう苦しくて、苦しくて。決勝では、さすがに私がスタミナ切れで、最後は仕掛けるものの、一切自分にパワーが残っていませんでした。

後から、話したら、皆さん元軍人経験者。柔術は、軍隊の方でやられている人が多いのです。「どこの、何デイビジョンだった」とお話している。知られていませんが、アメリカでは、元軍人の方の自殺が増えているのです。その中で、「柔術に救われた」と言っている人達は少なくありません。

 

私の友人が写真を撮ってくれる際、「大きすぎるから、しゃがんでよ」と言ったら、この笑顔。

良きコミュニティーですね。

負けたことは、悔しいけど。