久ブロ

自分の興味や、思い出したことを書いています。

ワールドカップ観戦 in Houston TX

世間には「タイムリー」という言葉があるが、私は今、あえてそこから大きく外れた話をしようと思っている。 なにしろ、先月二十九日のことである。私は仕事の都合で、アメリカはテキサス州、ヒューストンにいた。

そこで何を血迷ったか、ワールドカップの日本対ブラジル戦を観に行ってしまったのです。急に思い立ってチケットを手に入れたものだから、応援ギアの類(たぐい)は一切持っていない。 周囲を見渡せば、地平線の彼方まで黄色と緑のブラジル人である。その中にぽつねんと、アロハシャツを着た男が一人。はい、私です。

「全くスポーツを理解していない観光客」の風情(ふぜい)であるが、これでも私は中学・高校とサッカー部であった。下手くそではあったが。

なぜにアロハ?自分が一番謎。

 

ともかく、見た目が完全に「謎のアロハ男」であるため、周囲のブラジル人からは一ミリも日本人だとは思われていない。そんな奇妙な完全密室状態(スタジアムだけど)で、試合は始まった。

でも・・・、気が散るのである。試合ではなく、隣の席が。

私の隣には、アメリカ人の彼女とブラジル人の彼氏というカップルが座っていた。 これがもう、絵に描いたような不協和音を奏でている。アメリカ人の彼女はサッカーに一ミクロンの興味もないらしく、ずーーーっと携帯をいじっている。

彼氏は必死に機嫌を伺い、あれこれと貢ぎ物(飲み物や食べ物)を運んでくるのだが、彼女は「味が合わない」とばかりに一口も手をつけない。

挙げ句の果てに、その彼女が私に話しかけてきた。 「これ、フローズンのお酒。甘すぎて飲めないから、あげる」 私の席のカップホルダーに、どさりと置かれた。 飲むか、そんなもん。

 

そんな隣席のメロドラマのせいでサッカーに集中できずにいると、なんと、日本が先制ゴールを決めたのです。

その瞬間、私は我を忘れて「おー、YES!」と叫び、ガッツポーズを繰り出していた。アロハの下のサッカー部魂が爆発したのである。 一斉に、周囲のブラジル人が私を見る。「なんだ、お前、日本ファンだったのか!」と言わんばかりに、ドシドシと私の肩を叩いてくる。

これは一体、何のジェスチャーなのだろうか。「おめでとう」という祝福なのか、それとも「この野郎」という威嚇なのか。アメリカの?それともブラジルの?スタジアムの作法は難しい。

Away感が・・・。

 

関係ないけど、ハーフタイムになり、小腹が空いたのでホットドッグを買った。 考えてみれば、ホットドッグなんて何年ぶりに食べるだろう。「まあ、パンにソーセージが挟まっているな」という以上の感想は出ないのだが、アメリカの球場で食べるホットドッグは、なぜか異様に旨い。ケチャップとマスタードのみの味付け、そしてあの雑な包装。やはりスポーツ観戦における正装はホットドッグなのだ。

 

さて、後半戦である。 どうも嫌な予感がしていた。周りのブラジル人たちが、一点負けているというのに、やけに余裕をかましているのである。「いけるっしょ」という、あの南米特有の、軽すぎるノリ。日本に負けるなんて、これっぽっちも思っていないのだろう。

 

案の定、同点に追いつかれた。 彼らの「いけるっしょ感」の的中である。

よし、今度は私の番だ。私は手当たり次第、周囲のブラジル人の肩をバシバシと叩き返してやった(ただし、携帯泥沼中の隣の女性だけは、触らぬ神に祟りなしでスルーした)。 この肩叩きジェスチャーの正確な意味は不明だが、この時の私の心境は、完全に「この野郎、何してくれてんだ!」であった。

 

結果は、皆様ご存知の通り、日本は惜しくも敗れてしまった。 ブラジルの逆転ゴールが決まった瞬間、周囲の奴らが「さあ、肩を叩け!」とばかりに嬉々として私に近づいてくる。 ここでようやく気がついた。あのジェスチャーは、「やったな!」「よかったな!」という、純粋な歓喜のスキンシップだったのだ。

しかし私は、あくまで「この野郎……!」という怨念を込めて、彼らの肩を力いっぱい叩き返してやった。

 

私が現役で泥にまみれてボールを蹴っていた頃、ちょうどJリーグが開幕した感じ(ちょうど盛り上がり)。当時はよくスタジアムへ足を運んだものだが、実は高校を卒業して以来、サッカーからはすっかり遠ざかっていた。今の選手も、戦術も、正直よく分からない。

そんなド素人同然の私が、数十年ぶりに生で観戦して驚いたことが二つある。

一つは、日本人選手の「体格」である。 私の古い記憶では、日本の選手は海外の巨漢たちに比べてどこか「華奢(きゃしゃ)」なイメージがあった。ところがどうだ。今の選手たちは皆、ガッチリと逞しい。むしろブラジル人より体格が良く見えるほどで、時代の進化に腰が抜けた。

もう一つは、「ゴールキーパーの重要性」だ。 まるでアイスホッケーを見ているかのように、キーパーの一挙手一投足が勝敗を直結させる。

それにしても、あえてサッカーを知らない単なるジジイとして言わせて貰っちゃう。日本のスポーツは、確実に、そして逞しく、明るい未来へ向かっているのだと肌で感じたよ。

 

おそらく、私の人生において、これが最初で最後のワールドカップ現地観戦になるだろう。 今になって冷静に振り返ると、「よくもまあ、あのアウェイな空間に一人で行ったな」と自分でも呆れる。

だが、あの熱狂、あのホットドッグ、そしてあの理不尽なフローズン酒。 トータルで考えれば、大いに楽しんだのだから、それはそれで良し、とすべきですね。

ありがとう。侍ジャパン。

ミミズとイカと、股間の栄光

ようやく勝てました。。2025年は、柔術の試合ですべて負け。一回も勝てないのに試合に出続けたのは、白帯以来である。白帯の時は、13連敗。今回の茶帯では、出場した大会すべて一回戦負けという感じで、5連敗中でした。そして、2026年のはじめての大会で、何とか優勝・・・と言っても相手は1人だったので、1試合しかしていないのですがね。まー、それでも何とか勝てたのですよ。

背が低いw。久々の勝利で、嬉しそうです。

 

そんな中、ブラジリアン柔術という格闘技は、まことに不思議な格闘技だなと思うのである。 殴るわけでも蹴るわけでもない。道着のあちこちを引っ張り合い、もつれ合い、気がつけば畳の上でふたり、奇妙な格好で固まっているのです。

で、私が今、好んで使っている技がある。 その名は「ワームガード」、そして「スクイッドガード」。

直訳すれば、ミミズ・ガードに、イカ・ガード。 なんなのだろう、このヌルヌルとした生物たちのパレードは。強いのか、弱いのか。格好いいのか、悪いのか。 普通の人が聞いたら、まず間違いなく「グニョグニョした何か」しか想像できないでしょ。

そんなヌルヌル系技術の中から、私なりに知恵を絞り、独自の改良を加えた得意技がある。あるのだが、これに名前がない。他人に説明しようにも、どう言っていいか分からないのである。

仕方がないので、ワームガードから派生する自慢の技を、私は脳内でこう呼んでいる。 「股間抑えSLX(シングルレッグエックス)回転スイープ」。完全に下ネタか。でも、この技をそのまま説明すると、これ以外の名前が思いつかない。れっきとした下ネタで、本当なら、大の大人が公共の場で口にするには、少々、いや、かなりの勇気を要するのでしょうね(なら、ブログでいうな)。

ちなみにイカ(スクイッド)の方のオリジナル技は、「左から右足揺らしデングリスイープ」、または「左から右足揺らしバックテイク」の二種類がある。もはや技名ですらなく、ただの運動の記録だ。しかし、私の中ではこれで押し通している。

で、今回の2026 IBJJF NJスプリングオープンである。

本来のライトフェザー級に相手がおらず、急遽フェザー級に階級を上げるという、いわば「小兵が大男に挑む」ような不利な状況。しかも相手は、あの伝説のヴィトー・“シャオリン”・ヒベイロの愛弟子。2025年は一勝もできず、連敗街道をドナドナとドナドナられていた私としては、背水の陣なのです。相手を見たときの率直な感想は、「やば、強そうやん」という感じでの戦いだったのです。

マットに上がり、いざ実戦。 チャンスが訪れた。頭の中で「出せる!」と思った。

技をかける直前、私の脳内には「回転スイープ!」という文字が激しく明滅していた。本当はフルネームで「股間抑えSLX回転スイープ!!」と叫びたかったのだが、いかんせん試合中である。命のやり取り(大げさ)の最中に、そんな長い下ネタを全部言っている余裕はどこにもないです。脳内ですら略されてしまう、我が愛しの必殺技よ。

結果は、見事にその「下ネタの方」がズバリと決まり、2-0で勝利。 そして、長かった連敗からの脱出である。

試合後、なんと伝説のシャオリン氏本人とがっちり握手を交わすことができた。震えるほどの栄誉である。

何はともあれ、道場でコツコツと泥臭く練習してきた技で勝てたというのは、人間として、柔術家として、大いなる進歩である。ミミズだってイカだって、畳の上では立派な武器になるのさ。

こちらはチャンピオンのガルヴァン選手とのツーショット。嬉しそうな私w。

老けたおかげで、イッセイ ミヤケ

二週間ほど前のことである。

あの「Issey Miyake」さんが、ニューヨークに新しいお店を構えられた。そのグランドオープニングという、実に華々しい宴に、なぜか私がご招待されてしまったのである。

ありがたい。大変にありがたい。 ありがたいが、言わせてほしい。

「圧倒的に、場違いである」

会場(お店)に一歩足を踏み入れた瞬間、私は己が「お呼びでない」生き物のように思えてならなかった。 見渡す限りの参加者たちが、全員、Issey Miyakeの服をそれはそれは見事に、小粋に着こなしているのである。右を向いてもプリーツ、左を向いても洗練。

翻って、私はどうか。 大変失礼ながら、私はイッセイさんの服を1着も持っていない。 「着たくない」のではない。「似合わない」のだ。似合わなすぎて、普段はお店に入る勇気すらないのである。

おそらく、あの広い会場で「イッセイを着ていない男」は私ただ一人だったのではないか。裸で放り出されたような心持ちでしたよ。

いや、皆さんカッコよすぎる。 特に社長(日本人)ときたら、高身長の超イケメン。いわゆる「モデル顔」。 ああ、服が人を選び、選ばれた人が服を着るとはこういうことか、と、まじまじと見惚れてしまった。

しかし、そのぶん、私のような「選ばれざる者」はただただ萎縮するばかり。

 

これは無理。帽子はイケるか?

 

この日のグランドオープニングは、ただ見るだけでなく、実際にその場で服を購入できるシステムになっていた。 チャンスといえばチャンスである。 しかし、だ。

やれるのか、私に、行けるのか、この自分に・・という感じで、何度も心の中で呟いている。

これほどまでに「似合いまくっている強者ファッショニスタ」の方々が目を光らせる空間で、この私が鏡の前に立ち、イッセイさんを羽織る。そんな恐ろしいことができるだろうか? と考えている私に、救いの手が差し伸べられた。

イケメン社長が「2階がいいですよ」とオススメをくださり、一緒にパーティに参加し日頃お世話になっているお仲間女性陣の皆様が、「これがいいわよ」と、あれよあれよという間に服を選んでくださったのである。

おかげさまで、なんとか一着のカーディガンを購入することに成功した。

着てみて驚いた。 軽い。そして、すこぶる着やすい。 「これは……いい……!」

一着手に入れれば、こちらのものだ。今度は根性を出して、ゆっくり一人で店に乗り込んでみよう、と密かに胸に誓ったのであった。

実は、私にとってIssey Miyakeというブランドには、並々ならぬ強い想いがあるのです。 私の父親のような存在であった、「数独(SUDOKU)」の生みの親、マッキーこと、今は亡き鍛冶真起社長のことである。

ある時期、マッキーはIssey Miyakeの服しか着ないことがあった。 私はその「きっかけの瞬間」を、今でもはっきりと覚えている。

それは、マッキーが『ニューズウィーク(Newsweek)』の「世界で活躍する日本人100人」に選ばれたときのことだ。 お祝いの食事をしながら、私は聞いた。 これからアメリカをはじめ、世界中にお呼ばれしてスピーチをしまくるであろうマッキーに、私はこう提案したのだ。

「マッキー、これから日本代表として海外に行くわけですから、パッと見てそれとわかるような格好をするのはどうですか?」

「着物っていうのも、ちょっと違うよな……」ということになり、 「じゃあ、日本のトップファッションブランドの服だけで通す、というのはどうでしょう?」

「それだ!」となった。 次の日、じゃあ早速行こうということになり、二人で銀座へ繰り出した。 その日を境に、マッキーの戦闘服は「Issey Miyakeオンリー」となったのである。

まさかその約10年後、この私がニューヨークでイッセイさんのパーティに呼ばれているとは、当時のマッキーは夢にも思うまい。 もし生きていたら、あの独特の調子で、 「やるな、ひろー。すごいな」 と、言ってくれたような気がする。

気がつけば、私はそんな風に誰かから褒められることのない年齢になってしまった。 そして、今の私は、あの時のマッキーの年齢より、ほんの少しだけ若いくらいのところにいる。

 

そんな自分が、今度はニューヨークでIssey Miyakeを着ているのだから、マッキーは天国でさぞかし驚いているに違いない。

実は、かつて二人で「銀プラ」してイッセイの店に入ったとき、私も一緒に試着をしたのだ。 そのときの私の似合わなさたるや、凄まじいものがあった。 試着室から出てきた私を見て、マッキーは本気で引いていた。

「お前、ずんぐりむっくりで、首がないからなー……」そういうリアルな意見が、一番効く。かなり、ひどい言いようである。だが事実ので仕方ない。

あれから時が流れた。 今でも私は相変わらずずんぐりしているし、相変わらず首はない。 いや、むしろもっと短くなっているような!という感じだが、代わりに「老け」という武器を手に入れた。

「マッキー、首はないままだよ。だけどさ、こっちもそれなりに老けたもんだから、あの頃よりはちょっとは着こなせるようになったみたいだよ」

そう報告したら、マッキーはあの優しい笑顔で、また笑ってくれるだろうか。

そんなことをツラツラと考えながら、私は夜のニューヨークを、30分ほど歩いてオフィスへと戻った。 手には、軽やかなカーディガンの入った紙袋。

マッキーが見守ってくれていたなー、と感じる。

しみじみと、とても良い夜であった。

 

「オビ」という名の幸福

一週間前、愛犬が天国へ行った。 それも、サッサと。 「ちょっと具合が悪いかな」と思ってからわずか三日。何の断りもなく、実にあっさりと、彼女は向こう側へ駆け抜けてしまったのである。

自分にはブログの三則というものがある。「政治」「悪口」「悲しい話」は書かないというルール。 だが、今回ばかりはご容赦願いたい。これは悲しい話ではなく、一匹の、やたらと気位の高いミニチュアシュナウザーと、その名前を呼び続けたおじさんの記録なのだから。

 

名前、というものについて考える。 改めて気がついたのだが、人間、家族の名前をそれほど頻繁に呼ぶものではない。 「おーい」とか「ちょっと」で済んでしまう。 ところが、うちの犬に対しては、一日に何十回とその名を連呼する。 朝五時に起きてから、夜寝るまで。「オビ」「オビ」「オビ」。 その名前を呼べなくなった途端、生活のバランスがガタガタと崩れた気がする。右足を出したのに左足が出ないような、妙な調子の狂い方である。

ちなみにこの「オビ」という名だが、実はブラジリアン柔術の「帯」から拝借したものだ。 ところがアメリカで散歩をさせていると、十中八九『スター・ウォーズ』のオビ=ワン・ケノービの略だと思われる。 見知らぬ人から「He(彼)はいい子だね」などと、勝手に雄扱いされてしまう。 するとオビは私を見上げて、「お父さん、どういうこと?」という顔をする。 シュナウザーというのは、人間の言葉を理解している。私は確信している。

オビON道着です。

 

オビは、血統書付きのショードッグを親に持つ、いわばお嬢様である。 そのせいか、滅法プライドが高い。 他の犬と遊びたいくせに、決して自分からは行かない。 相手の犬が寄ってくると、ピンと背筋を伸ばし、首をスッと立てて、彫像のように止まる。 「さあ、嗅ぎなさい」 と言わんばかりの威風堂々たる佇まい。 相手には思う存分匂いを嗅がせるが、自分は決して相手の匂いを嗅ぎ返さない。 「私は興味ありませんわ」というフリをして、我慢しているのだ。 そのツンデレな横顔を見るたび、飼い主としては「うちの犬は、なんて健気で、なんて面倒くさいんだ」と鼻が高くなるのであった。

 

私がヘアーカット・セット担当なのですが、この時は私の怠慢で放置状態のオビ。それでも、これだけ気高いのはさすがである。

 

別れというものは、こちらでタイミングを選べない。

七歳と七ヶ月。あまりに早い。

だが、彼女は最後まで「オビ」であった。 体が衰弱し、あちこち痛かったはずなのに、最後の最後に、しっかり自分の足で立ったのである。 そして、私の目をじっと見て、大きな口を開けた。 私には、それが「満面の笑顔」にしか見えなかった。

「そっか、そっか、わかったよ」 「グッドジョッブ、オビ。よくやった」 私は何度も繰り返した。

 

もし次に新しい犬を飼えば、私は間違いなくオビと比べてしまうだろう。それは次の犬に対して失礼というものだ。 何よりオビが「浮気はダメよ」と、あの気高い顔で釘を刺してくるに違いない。 「どうしても飼うなら、オスにしなさいよ」なんて言いながら。

さて。 彼女のように、最後を笑顔で締めくくるのは、なかなか至難の業である。

自分も死ぬときに「グッドジョッブ」と言ってもらえるよう、まずは毎日、笑顔の練習から始めるとするか。

アサイーの会

さて。

近ごろ、世の中には「女子力」という言葉がある。 これを上げるために、うら若き乙女たちは日々、研鑽を積んでいるらしいのである。

そんな中、私は?私も?巷で女子力が高いと思われている食べ物がとっても好きなのであるが、それがアサイーです。

日本では、表参道あたりの小洒落たテラスで、モデルのようなお姉様方が「美肌にいいのよね」なんて言いながら、スプーンの先でチマチマと突っついている感じがする。 そこには「丁寧な暮らし」とか「デトックス」とか、そういった、ふんわりと綿菓子のような「女子力」が漂っている感じがする。

なのですが、私、何を隠そう、一週間に十回以上も「アサイー」を食しているのだ。 一週間は七日である。つまり、一日に二回アサイーと対峙する日があるのです。

 

そもそも、アサイーとは何か。 もともとはブラジルの果実だそうだが、我々の前に現れるときは、たいてい「アサイーボウル」という、なんともファンシーな姿をしている。 見た目は、紫色の泥……いや、失礼。高貴な紫色をしたシャーベット状の物体。 その上に、色とりどりのフルーツやグラノラが、これでもかと盛り付けられている。

私がこのアサイーという「洒落た泥」に出会ったのは、柔術の会場であった。 柔術の大きな大会には、必ずといっていいほどアサイー屋が店を出している。 道着を着た屈強な男たちが、耳を潰し、鼻を曲げながら、この紫色の冷たいスイーツを「ウマイ、ウマイ」と突っついている。そう、女子力とはまったくもってかけ離れた世界なのです。

 

ちなみに、聞かれてないけど、私のこだわりは、こうだ。

  • ベース: アサイーにプロテインをドロリと混ぜたもの。

  • トッピング: グラノラ。フルーツはバナナ一本槍。

  • 仕上げ: ここが肝心なのだが、世間一般では「蜂蜜」をかける。しかし、私には甘すぎる。私はここに「ピーナッツバター」をボテリと落とす。

これがいい。 ピーナッツバターのコクと、アサイーの冷たさ。 これを口に運ぶと、口の中はたちまちブラジルの熱風と、アメリカのピーナッツ農場が激突したような状態になる。 これがたまらなく、好きなのです。

 

ところが、最近のニューヨークである。 このアサイーが、とんでもない「貴族の食べ物」へと変貌を遂げているのです。

先日、ボウルではなく「スムージー」を注文した。 中身は潔く、アサイーのみ。サイズは「ラージ」。 会計の段になって、私は耳を疑った。

「二十ドルです」

おいおい、と。 二十ドル。現在のレート、一ドル百五十円で計算してみる(してはいけないと思いつつ、指が勝手に電卓を叩く)。 なんと、三千円。。

たかが紫色のスムージー一杯に、三千円。 これを私は、わずか二分で飲み干した。 一分間に千五百円が喉を通っていった計算になる。

 

では、それほどの対価を払って、体に劇的な変化があるか。 ここが最大の問題である。

お肌がピチピチになるか。……ならない。

髪の毛が劇的にカムバックするか。……微塵もその気配はない。

ただ、やたらと腹が膨れる。 「最高のデザート」であり、「最強の満腹感」をもたらしてくれる。ただそれだけ。

ニューヨークでは、アサイーは控えたほうが良さそうなのですが・・・。多分、私は明日もまた、紫色のカップを手に取っている気がする。 女子力が限界突破し、財布が限界突破で軽くなっても、あの冷たい「紫のパワーフード」はやめられない。

あ、ちなみに、私日本での好物がおはぎなのです。なんとなく、共通点はなさそうであるのではないか。おはぎは女子力ないけどな。

波平の血統

ふと気がつくと、五十路(いそじ)という坂の途中に立っている。

この年になると、人生の景色というものはだいたい決まってくるものだ・・と思っていた。右を見ても左を見ても、見慣れた風景。 私は法律家などという堅苦しい看板を掲げているが、その実態はサザエさんの「波平さんの頭」のようなものであったのです。

一本、すっと立っている。  

増えることもなければ、劇的に抜けることもない。あのアニメ界屈指の安定感を誇る一本の毛のように、私の仕事もまた、凪(なぎ)のような安定を見せていたのである。

 

そうそう、実は、私にはこの「波平スタイル」に強い親近感がある。私のおじいちゃんが、驚くほど波平さんに似ていたのだ。顔の造作から、頭頂部に鎮座する「あの一本」に至るまで、まさにリアル波平。

そうなると、孫である私も当然、将来はあの「一本の美学」を継承するものだと思っていた。ところがどうだ。五十を過ぎた私の頭部に、あの一本すら存在しない。私は坊主である。遺伝子の悪戯か、はたまた進化の過程か、私はおじいちゃんが守り抜いた「一本」すら潔く脱ぎ捨て、海坊主、あるいは磨き上げられた大黒柱へと至ってしまった。私の頭は、常に「アガリ」の状態、つまり究極の安定期(坊主です。まだハゲではない)、というかカツオ状態に入っているのだ。

 

仕事の内容も、それに準じていた。心臓移植のような大手術はない。町のお医者さんが「おや、風邪ですか」と診察するように、身近な、しかし切実なご相談が、ポツリ、ポツリと届く。「ちょー忙しい」というわけでもない。かといって「暇で死にそうだ」というほどでもない。実に、毛一本生えぬ頭皮のような、平穏な日々であった。

ところがである。どうしたことか、今年に入ってから、その「毛のないはずの頭」が、猛烈にざわつき始めたのだ。

とにかく、忙しいのである。坊主の私の頭頂部に、いつの間にか目に見えない「仕事の毛」がボーボーと生え揃い、しかもそれぞれが「こっちです!」「あっちです!」と勝手な方向へなびいているような状態だ。 

 

私は、もともと「引っ込みじあん」を絵に描いたような人間だ。ブログを書き、セミナーでお話しし、YouTubeでカメラに向かって語る。これらはすべて、画面という「防護壁」の向こう側で行われる活動であって、基本的には外に出たくない。営業? 滅相もない。  

それなのに。あちらこちらから「ご紹介」という名の温かいパスが飛んでくる。「あそこの町医者に診てもらえ」「あそこの坊主なら話を聞くぞ」と。ありがたい話である。本当に、目頭が熱くなるほど感謝しているのだ。

 

しかし、忙しい。でも、楽しい。この「忙しい」と「嬉しい」が混ざり合った、妙に高揚した気分。ふと思う。もしおじいちゃんが生きていたら、このバタバタと走り回る私を見て、あの波平ボイスでこう一喝してくれるだろうか。

「バカモン! 少しは落ち着かんか!」

そう言われても困るのだけど。今、私の目に見えない「仕事の毛」は、セットする暇もないほど暴れまわっているのだから。

あ、断っておくが、これは決して「ブログを更新できない言い訳」ではない。ただ、ちょっとだけ。天国のおじいちゃんに「セットのコツ」を聞きに行きたいくらい、手が回っていないだけなのである。

恐怖のピンポンダッシュ

世の中には、わざわざ「逃げる」ことを前提とした、なんとも忙(せわ)しない悪戯がある。 ピンポンダッシュである。

都会の、それも小奇麗な住宅街に生息する子供たちが、スリルと背徳感を手に入れるために行う、極めてコスパの悪い遊びだと、私には思える。 ちなみにアメリカではこれを「Ding Dong Ditch」と呼ぶらしい。こちらのガキ共も、やはりチャイムを鳴らしては「ダッシュ」しているわけだ。世界は一つである。

そもそも、何が楽しいのか。 ピンポンと鳴らし、全速力で物陰に隠れ、家主が「ハテ?」と首を傾げる様子を盗み見て、ニヤリとする。 なんという慎ましやかな愉しみだろう。 そんなに首を傾げる顔が見たいのなら、動物園のキリンでも見ていればいいではないか、と田舎者の私は思うのだが。

ところが、である。 このピンポンダッシュが、あろうことか我が家にやってきたのだ。そうそう、洗礼を受けてしまったのです。それも私にとっては、最悪のタイミングで。

その時、事件は起きた

その日、私は「坊主頭」のメンテナンスに勤しんでいた。 バリカンを自在に操り、己の頭部を滑らかな青海原へと変えていく。これは私の、ある種の儀式であるわけです。 仕上げにシャワーを浴びていたその時、奴は鳴った。

「ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン!」

しつこい。実にしつこい。 普段の私なら「居留守という名の要塞」に立て籠もるところだが、あまりの執拗さに「もしや大火事か、あるいは昨日出したゴミのクレームか」と血迷った。

私は慌ててシャワーを止め、腰にタオルを巻き(一応、パンツは履いている)、濡れた体にTシャツを強引に被った。 鏡を見る余裕などない。水も滴る、ではない。水が滴りすぎている。 そのまま、玄関へ突撃した。

世紀の対面

ガチャリとドアを開けた。 そこにいたのは、数人の子供たちである。

「……あ」

時間が、止まった。 正確には、子供たちの血流が止まった。

想像してみてほしい。 目の前に現れたのは、切りたてホヤホヤでバリバリに尖った、青光りする坊主頭の男。 しかも、シャツは水でぐっしょりと色を変え、腰にはタオル。 下半身のボリューム感に不安が残る、異様なシルエットの怪人である。

一人の少年などは、逃げるという生存本能すら忘れたのか、ガクガクと膝をつき、アスファルトに手をついている。 いわゆる「腰を抜かす」という現象を、私は人生で初めて生で見た。 子供たちの顔からは血の気が引き、声も出ない。

本来なら「おや、どうしたんだい?」と、ちょうど12月だったので、サンタクロースのような慈愛に満ちた声をかけるべき場面だ。 しかし、こちらもパニックである。己の「変態的ビジュアル」を自覚し、脳がオーバーヒートを起こしていた。 口から出たのは、無愛想きわまりない英語であった。

「……What do you want?(何が望みだ)」

地獄の底から響くような低音。 子供たちは「ナッシング!」と叫び、脱兎のごとく、いや、脱兎を超えた何かのように、猛烈な勢いで消え去った。

結末と、一抹の不安

私はしばらく呆然と立ち尽くしていた。 「あぁ、これで私はここのハウスアパートの地区で『要注意人物リスト』の筆頭に躍り出た。明日からは子供たちが私の家を指差し、『あそこには腰タオルの坊主怪人がいるぞ』と囁き合うのだ……」 そう思うと、こんな私でも正直焦った。

ところが後日、管理人からの一通のメールで真実を知る。 「近頃、不届きな子供たちによるピンポンダッシュが流行っております。ご注意ください」

なんだ、悪戯だったのか。 私は被害者だったのである。

しかし、冷静に考えてみる。 悪戯を仕掛けた側に、まさか「腰タオルの坊主男」という、悪戯の報酬としてはあまりに過酷な現実を突きつけてしまった私。

彼らにとってあの日は、ピンポンダッシュなどという生温い遊びを卒業するに十分な、一生モノのトラウマになったに違いない。 よかった、変態扱いされなくて。

……いや、されてるよなぁ。やっぱり。

2025年Nogi世界大会を終えて:負けて、怪我して、それでも続ける理由

先日、2025年Nogi世界大会に出場してきました。結果は2回戦敗退。おまけに怪我もしてしまい、散々な結果です。。

振り返れば今年は負けが多く、怪我に泣かされる一年でした。「まあ、自分が弱いのだから仕方ない」——そう割り切ってはいますが、来年に向けてまずは治療に専念し、また練習を頑張りたいと思っています。

……というか、正直なところ「そこまでしてどうしたいの?」と自分でも呆れるような状況です。なぜ負けて、痛い思いまでして、私は試合に出続けるのか。

まず私の場合、試合という目標がないと、たぶん練習しない(笑)。 それに加えて、負けた後にどうしても「あそこでこう動いていたら?」「あの技ができたのではないか?」といった思考が頭から離れないのです。もちろん、今さら考えたところで結果は変わりません。それでも気になって仕方がない。この尽きることのない「興味」だけで、試合に出続けている節があります。

「普通」の私が見つけた柔術の面白さ

本当に強い人というのは、まず負けません。試合を見ていても、彼らは「勝ち方」を熟知しています。 対して、普通かそれ以下のレベルである私には、勝ち方なんてよく分かりません。分かるのは「負ける理由」や「負け方(こうなるとマズいという予兆)」ばかり。だから、負けないように必死に凌ぐだけの試合になってしまう。相手の攻撃をなんとか封じ込め、相手が疲れたところで泥臭くポイントをもぎ取っていく。それが私のスタイルです。

そんな「普通」の私でも、自分の柔術にだけは「完璧」を求めてしまう瞬間がある。そこが面白い。 そして負けた瞬間に、「ああ、俺は強くなくて、やっぱり普通だったんだ」と思い知らされる。なぜか、それが柔術を続ける理由になっています。自分が普通だと自覚しているからこそ、頑張れるのです。

収穫:緊張をマネジメントする「儀式」

今年は悔しい一年で、今回の負けも相当に応えました。けれど、悪いことばかりではありません。試合前の「緊張感」をマネジメントする、自分なりの方法を見つけたのです!

最近は昔ほどガチガチに緊張することはないのですが、それでも「邪念」は湧いてきます。少し弱気になったり、直前になって急にゲームプランを変えたくなったり。要するに、自分の柔術に自信が持てなくなるのです。

そんな時、人によって対策は様々です。音楽を聴いたり、セルフトークをしたり。 以前、あるコーチが選手にこうアドバイスしているのを見かけました。 「『負けたくない』や『勝たなきゃ』と思ってはいけない。代わりに『勝ちたい』と思えば大丈夫だ」と。 それを聞いて、私は心の中で突っ込んでしまいました。「脳みそからすれば、その3つの違いなんて認識できなくて全部同じなんじゃないの?」と。

何しろ、今回私にとって非常に有効だったのは、自分専用の「ソロムーブ」でした。 自分のゲームプランに合わせた動きを15種類ほど作り、毎日準備運動として繰り返しました。試合前、邪念が湧くたびにそのソロムーブを行うと、すーっと緊張が引き、頭の中がリセットされる感覚があったのです。これは大きな発見でした。

……まあ、その15個のソロムーブを一つも出す場面がなく負けてしまったわけですが。それでも、これほどのメンタルケア効果があるとは思いませんでした!

さあ、これからですが、まずは怪我を治します。 そして夏の世界大会(道着)に向けて、またコツコツと積み上げていこうと思います。次も、新しいソロムーブを練るのが楽しみです。

怪我してます>足首。

へたウマ日めくりリフレクション:ブログ記事

あのとき、諦めなくてよかった

今月から始めた、へたウマ英語【日めくりリフレクション】のショート動画シリーズ。
毎日1問、学びや自分探求に関する問いが、英語と日本語で届くという毎日配信中のシリーズです。

【Hetauma Daily Reflection(へたウマ日めくりリフレクション)プレイリスト】
https://www.youtube.com/playlist?list=PLIxP063eUD81FruEgGkwd_8KxX09P_Sey

その中からら、以下の動画について、今日は一言。https://www.youtube.com/shorts/MwHkvtryhf0

What made you think, ‘I’m glad I didn’t give up’?
(あのとき諦めなくてよかったと思えたのは?)

この問いに向き合ったとき、私が真っ先に思い出したのは、アメリカで歩いてきた30年以上の道のりです。

私は10代で単身アメリカに来ましたが、順調だった時期のほうが短かったと思います。大学では英語力が足りず、やり直しを繰り返し、大学院では法律の専門用語に歯が立たず授業についていけない時期もありました。

司法試験の勉強では結果が出ない日が続き、本気で「もう無理なんじゃないか」と思ったことも何度もあります。それでも諦めませんでした。理由は立派なものではなく、「このまま帰国しても中途半端なまま終わる」「せっかくここまで来たのに」というしがみつくような思いだった気がします。

振り返ると、ニューヨークとテキサスで弁護士として働けているのは、特別な才能があったからでも、語学力がずば抜けていたからでもありません。ただ「完全に投げ出さない」という選択を続けてきただけです。その選択をしていなければ、今の景色は絶対に見えていなかったと思います。

あの時、やめなかったことで何が変わったのか

動画の最後のプロンプト “What changed after that?”(その後、何が変わった?)に答えるなら、あの時、諦めなかったことで変わったのは、「困難を前にしても、自分はまた立ち上がれる」という実感です。この感覚は、40歳で柔術を始めてから、一段と強くなりました。これはアメリカで働きながら暮らしていくうえで、自分を支えてきた大事な感覚。

もし今、何かがうまくいかず、続ける意味が見えなくなっている人がいるなら、この動画が少しでも励みになればと思います。自分に偉そうなことは言えませんが、完全に諦めないだけで、いつか「あの時やめなくてよかった」と思える日が必ず来る。そう信じれるだけで、頑張れることがあります。

 

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