男というものは、幾つになっても戦う生き物である。 そんな似合わないセリフから、ブログをはじめちゃう。
二週間ほど前、私はダラスで行われたブラジリアン柔術の大会に出場した。本来の階級であるライトフェザー級では対戦相手がおらず、またもや、一階級上のフェザー級に放り込まれる。でも、結果から言えば優勝したのです。めでたい。今年に入ってこれで5連勝である。
だが、威張れたものではない。決勝戦では相手に足関節をガッチリ極められ、あとコンマ数秒でタップ(降参)という絶体絶命の危機を、脂汗を流しながらなんとか粘り倒して勝ち拾ったのだ。足首を軽快に捻挫した。痛い。
おまけにフェザー級でばかり勝っているので、本来のライトフェザー級のランキングポイントがまるで貯まっていない。数週間後に控えた世界大会では、下位グループからのノーシード発進が確定的なのである。初戦から猛者とぶつかる「体力なし男」の私には途方に暮れる話だが、まあ、調整自体はすこぶる調子が良いのが救い。

さて、問題は試合そのものではない。道着の男たちがしのぎを削る会場で起きた、ふたつの珍事である。
試合直前、私は猛烈な尿意に襲われ、スポーツコンプレックスのトイレに駆け込んだ。そこそこの行列ができている。ようやく自分の番が来て、意気揚々と小便器の前に立った私は、愕然としたのです。
高すぎるのである。。。
アメリカの設備がデカいのは承知しているが、それにしても限度がある。小柄な私が目一杯つま先立ちしても、便器のフチはおへそのあたりに鎮座している。これでは物理的にどうにもならない。放尿というより、もはや上階への登攀(とうはん)である。かなりのアクロバチック性が求められてしまう。試合前に、道着着ながら、これはできないし、衛生上問題があるよ。
すごすごと列を離れたが、いまさら最前列に割り込む図々しさもなく、私は一番後ろに並び直した。救いはひとつだけある低めの子供用便器だが、見れば坊やがひとり、微動だにせず延々と用を足している。長い。実に長い。 そうこうするうちに大人の列が私の番になってしまった。後ろの大男たちに「どうぞ、お先に……」と大人用を譲り続ける哀しい日本人。 見かねた後ろのアメリカ人が「おい、大丈夫か?」と声をかけてきた。
試合前で極度にテンパっていた私は、思わず口走ってしまったのだ。
「Too Tall for me(便器の背が高すぎる)」
英語としては「Too High」が正解だったかもしれない。しかし、便器に「背が高い」と言い放った私の絶妙な悲哀がツボに入ったのか、緊張で張り詰めていた屈強な男たちがドッと大爆笑した。館内の殺伐とした空気を一瞬で和ませたのだから、文法的にはともかく、人間的には大正解だったと思いたい。
そして、もうひとつの珍事は試合後の表彰台で起きた。
無事に金メダルを首にかけ、表彰台の真ん中で記念撮影を待っていたときのことである。私を挟んで両脇に立つ2位と3位の選手。ついさっきまで私と命のやりとり(?)をしていた大男たちが、私の頭上越しに突然世間話を始めた。
「なあ、お前、ボトックスやってるだろ?」 「分かる? 何ヶ月にどれくらい打ってる?」などなど。
……へ? である。 道着を着た屈強な男ふたりが、額や眉間のシワ取り談義に花を咲かせている。 まず第一に、なぜお互いにボトックスをやっていると一目で見抜けるのか。そして第二に、なぜ真ん中にいる私には「君もやってる?」のひと言すらないのか。 もちろん私はボトックスは打っていないし、打つ予定もない。だが、一切の確認もなしにオートマチックに会話から除外され、頭の上を美容情報が飛び交うこの疎外感はどうだ。
だが、頭上を行き交う「美の秘訣」を聞き流しながら、私は表彰台の頂点で、じんわりと噛みしめていた。
(……うん、なぜだか分からないが、この2人には勝てて本当によかった)
男の戦いとは、まことに奥が深いものである。












