ブログというものは、一度間が空くと、まるで見えない結界でも張られたかのように筆が止まる。 そこへ持ってきて急な日本出張である。ドタバタと荷物をまとめ、羽田だか成田だかに降り立ち、気付けば前回の更新からすっかり日が暮れて夜が明けて、また暮れていた。忙しいのはありがたいことだが、人間、あまりに動いていると己のブログの存在すら棚の奥へ押しやってしまう感じです。
そんなわけで、世間様にはまるで黙んまりを決め込んでいた格好になるのですが(あまり見られていないブログのくせに言うことはいう)、実はこっそり大変なことが起きていました。
柔術の世界大会です。
道着を着て畳の上で揉み合いへし合いする世界大会も、数えてみればこれで5回目。なんとこのたび、茶帯ライトフェザー級にて、金メダルを頂戴してしまったのである。 いやはや、優勝です。世界一?と自慢しちゃえ。 「リベンジを果たした」と言うべきか、「ようやく元の場所へ戻ってきた」と言うべきか。 振り返れば、紫帯で優勝し、今回で茶帯でも世界の頂点に立った(また自慢しちゃえ)。道着を着ない「ノーギ」の大会でも紫帯で2度ほどテッペン(ここでも自慢さ)を獲っているので、通算すると世界大会での優勝は4回目ということになります。我ながら、畳の上でよくぞここまで這いずり回ったものだと感心しています。

試合後は、皆笑顔。これが良い。
今回の勝因は何か。 一言でいえば「調整の妙」である。 怪我こそポツポツとあったものの、身体づくりが恐ろしいほどピタリとハマった。 規定体重より3、4キロも軽い状態を、5月の段階で早々にこしらえ、それをそのままキープ。つまり最低でも4ヶ月以上、私は「試合当日の身体」のまんまで朝昼晩を過ごし、道場で汗を流し、地方大会に出ていたことになるのです。
かの格闘家・魔裟斗氏が、かつてこんなことを言っていた記憶がある。 「普段から競技体重で生活し、練習するのがもっとも理想的であり、強い身体を作る」と。 直前にサウナへ駆け込んでヘロヘロになって落としたり、或はぶくぶく太っていては、スタミナもスピードもキレも台無しになる、というわけだ。 もしこの説が正しいのだとすれば、今大会の私は、まさに魔裟斗理論の申し子であった。身体のキレが違う。息は上がったが、実に身軽だったなと思うのです。
そして、技術の大改造。これがまた、嘘のようにハマった。
これまでの私はといえば、「ハーフガード」という手堅い、悪く言えば誠に地味なスタイルを好んでいた。やられない。絶対にやられない。だが、こちらからも仕留めに行けない。 いわゆる「塩試合」の量産工場でした。 負けはしないが勝ちもしない。最後はレフリーのサジ加減一つ、判定で「あちらの勝ち」と腕を上げられてトボトボ引き揚げるのがオチであった。
これではイカン、と一念発起したのが今年の2月。 守りを捨てて、思い切って大博打に出た。「ラペルガード」の導入です。この年齢で、作戦を大幅に変更したのです。 相手の道着の裾をベロリと引きずり出し、己の手足に巻きつけ、蜘蛛の巣のように相手を絡め取る技術。 「ワームガード」に「スクイッドガード」。 ワームといえばミミズである。スクイッドといえばイカである。五十を過ぎてミミズだのイカだのを名乗るのも妙な話だが、これが実に効く。 ハーフガードに比べればこちらの守備力はガラ空き、一歩間違えれば即座にやられるハイリスク・ハイリターンな世界なのだが、ハマれば相手の手足を縛り上げ、こちらの攻撃力だけがグングン跳ね上がる。 この作戦変更が見事に当たった。 「負けないで勝てた」のではない。「勝ちに行って、もぎ取った」感じです。
ついでに言えば、私は下に潜り込んで試合を作る「ガードプレイヤー」なのですが、試合開始の合図とともに、いかに確実に、素早く下を引っこ抜くかという稽古も2月からみっちり繰り返していた。 思えば、これが一番のファインプレーだったかもしれない。開始のブザーが鳴るや否や、すーっと迷いなく下に入る技術。これで試合の主導権をガッチリ握ることができた。

ラペルガードを特訓してくれたコーチと。
さて、肝心の試合運びについてです。 制限時間は5分。私の頭の中で描いた青写真はこんな感じ。
まず前半の2分半。下から相手の体勢をゆさゆさと揺さぶり、崩しにかかる。 ここで点を取りに行くのではない。「ふむ、こやつは右へ倒すとこう踏ん張るな」「左へ煽るとここを嫌がるな」と、相手のディフェンスの癖をじっくり観察・採集する。
そして時計の針が半分を回った瞬間、一気に「スイープ」を仕掛ける。天地をひっくり返し、相手を下敷きにして2ポイントを奪う。
問題は、残り1分。自分が上になった瞬間である。 普通なら、ここから相手のガードを突破して抑え込む「パスガード」を狙うところ。 だが、実は私、足首を痛めていたのです。踏ん張りが利かない。無理にパスを仕掛けようものなら、下からひっくり返されて同点、あるいは逆転される危険がプンプン漂っている。
そこで私は、恐ろしい暴挙に出たのです。
「パスするふり」をしながら、あえて首や腕を、相手の目の前にスッと差し出したのである。 「さあどうぞ、腕をお取りなさい」「首が空いておりますよ、どうぞどうぞ」とばかりに、極め技を献上する構えを見せたのだ。 当然、セコンドのコーチからは「何やってんだバカヤロウ!」と怒鳴られそうな危険極まりない芸当。 だが、私には計算があった。 足首を痛めた状態でスイープの攻防に付き合うくらいなら、首や腕を取られて耐える方がよほど自信がある。なにしろ、あと1分なのだ。1分間、関節技をぎゅーぎゅー極められようが、意地でもタップ(参った)さえしなければ、私の勝ちなのだ。
これが、笑ってしまうほど当たった。 1回戦はシード。2回戦、準決勝、決勝の全試合、スコアはすべて「2−0」。 上になった途端、2回戦と決勝の相手は嬉々として私の首へ飛びつき、「三角絞め」を仕掛けてきた。準決勝の相手は「しめた!」とばかりに私の腕をへし折らんと「キムラロック」を極めにかかってきた。 私はといえば、歯を食いしばり、顔を真っ赤にしながら、その腕や首をただひたすらに耐え抜いたのである。
ブザーが鳴る。2−0。私の勝ち。 なんという作戦勝ち。なんという泥臭いリアリズム。 美しくはないかもしれないが、周りにはハラハラドキドキであったかもしれないが、勝負の世界は勝てば官軍、結果よければすべて良しなのである。

勝ったからできるこの笑顔。いやー単純すぎるやろ。応援してくれた仲間と握手。
かくして世界の頂点に立ち、余韻に浸る間もなく翌日には日本行きの飛行機へ飛び乗ったわけだが、実はその出国前夜、もう一つ大事なイベントがあった。 久々の「STOK」開催である。
私が講師を務めさせていただくのも4回目ほどになるが、なんと今回は、過去最多の参加申し込みをいただいた。 集まった人数、実に100名以上。 集まってくださった皆様には、もう感謝、感謝の言葉しか見当たらない。
世界一のメダルをぶら下げ、100人以上の方と勉強し、その翌朝にはスーツケースを引いて日本へ飛ぶ。 まったく、我ながら目まぐるしい日々。 だがまあ、こういう汗臭くて忙しない人生ができていることには、本当に感謝です。













