久ブロ

自分の興味や、思い出したことを書いています。

波平の血統

ふと気がつくと、五十路(いそじ)という坂の途中に立っている。

この年になると、人生の景色というものはだいたい決まってくるものだ・・と思っていた。右を見ても左を見ても、見慣れた風景。 私は法律家などという堅苦しい看板を掲げているが、その実態はサザエさんの「波平さんの頭」のようなものであったのです。

一本、すっと立っている。  

増えることもなければ、劇的に抜けることもない。あのアニメ界屈指の安定感を誇る一本の毛のように、私の仕事もまた、凪(なぎ)のような安定を見せていたのである。

 

そうそう、実は、私にはこの「波平スタイル」に強い親近感がある。私のおじいちゃんが、驚くほど波平さんに似ていたのだ。顔の造作から、頭頂部に鎮座する「あの一本」に至るまで、まさにリアル波平。

そうなると、孫である私も当然、将来はあの「一本の美学」を継承するものだと思っていた。ところがどうだ。五十を過ぎた私の頭部に、あの一本すら存在しない。私は坊主である。遺伝子の悪戯か、はたまた進化の過程か、私はおじいちゃんが守り抜いた「一本」すら潔く脱ぎ捨て、海坊主、あるいは磨き上げられた大黒柱へと至ってしまった。私の頭は、常に「アガリ」の状態、つまり究極の安定期(坊主です。まだハゲではない)、というかカツオ状態に入っているのだ。

 

仕事の内容も、それに準じていた。心臓移植のような大手術はない。町のお医者さんが「おや、風邪ですか」と診察するように、身近な、しかし切実なご相談が、ポツリ、ポツリと届く。「ちょー忙しい」というわけでもない。かといって「暇で死にそうだ」というほどでもない。実に、毛一本生えぬ頭皮のような、平穏な日々であった。

ところがである。どうしたことか、今年に入ってから、その「毛のないはずの頭」が、猛烈にざわつき始めたのだ。

とにかく、忙しいのである。坊主の私の頭頂部に、いつの間にか目に見えない「仕事の毛」がボーボーと生え揃い、しかもそれぞれが「こっちです!」「あっちです!」と勝手な方向へなびいているような状態だ。 

 

私は、もともと「引っ込みじあん」を絵に描いたような人間だ。ブログを書き、セミナーでお話しし、YouTubeでカメラに向かって語る。これらはすべて、画面という「防護壁」の向こう側で行われる活動であって、基本的には外に出たくない。営業? 滅相もない。  

それなのに。あちらこちらから「ご紹介」という名の温かいパスが飛んでくる。「あそこの町医者に診てもらえ」「あそこの坊主なら話を聞くぞ」と。ありがたい話である。本当に、目頭が熱くなるほど感謝しているのだ。

 

しかし、忙しい。でも、楽しい。この「忙しい」と「嬉しい」が混ざり合った、妙に高揚した気分。ふと思う。もしおじいちゃんが生きていたら、このバタバタと走り回る私を見て、あの波平ボイスでこう一喝してくれるだろうか。

「バカモン! 少しは落ち着かんか!」

そう言われても困るのだけど。今、私の目に見えない「仕事の毛」は、セットする暇もないほど暴れまわっているのだから。

あ、断っておくが、これは決して「ブログを更新できない言い訳」ではない。ただ、ちょっとだけ。天国のおじいちゃんに「セットのコツ」を聞きに行きたいくらい、手が回っていないだけなのである。