久ブロ

自分の興味や、思い出したことを書いています。

ありがとうございます。もっとがんばります。

今日はとても嬉しいことがありました。15年以上前から、大変お世話になっているS会長からお電話をいただきました!本当は、私から電話するべきでした・・・。S会長は、神奈川県に本社がある通信事業関連の会社をされています。

自分の人生には、「この人との出会いがなければ今はない」といえる方達がいまして、S会長はその1人。会社を継がれた息子さんも、自分にはお兄さん的な存在です。

S会長はご高齢ではありますが、今でも覇気があります。対話の仕方がとてもユニークで、黙って20〜30分以上話しをじっと聞いてくれます。15年前もそうでした。若造の話を黙って聞いてくれました。ただ、S会長の目はずっと自分を見ているんです〜。S会長を知っている人達の間では、「会長との会話で感じるプレッシャー」についてよく話題になるくらいです。S会長は、若い頃相当強い柔道家で、そこから来るんでしょうね。あのプレッシャーは。でも、本当はとても優しくかなりイケメンです。あ〜、昔の武士ってこんな人なんだろうなと感じます。

S会長には、15年前にどうやってアメリカで仕事をするかを相談させていただきました。S会長は30代の頃にニューヨークに住んでいたことがあるのですが、それこそ40年以上も前ですね。今のニューヨークとはまったく違う世界です。その頃の日本人がニューヨークでチャレンジすることと比べれば、自分はどれだけ楽だか。。

実は、私は家業を潰しています。馬関連の仕事なのですが、父家系・母家系同じ業界で、私が継いでいたらどちらの家系でも4代目でした。もし家業を継いでいたら、日本ではもっとも歴史の長い一家となっていたのかもしれません。そうなんです、こう見えて私はサラブレッドなんです。ある意味プリンス扱いされていたんですね(笑。

しかし、大きな問題がありました。それは、私が馬が嫌いなこと・・というか馬はとても優しい動物なので嫌いじゃないけど、馬を商売道具と見れなかったこと。小さい頃から何度も馬の安楽死するシーンを見ていたりとか、周りは英才教育のつもりだったのでしょうが、これが良くなかったな。。

この業界26歳までに入る決まりがあったのですが、そのタイムリミットに合わせて私は一策を講じます。それが「アメリカ行き」です。タイミングよく、この業界の学科というのが世界初としてアメリカの大学に誕生しまして、そこに留学するという名目でアメリカ逃亡をします。この大学には実際行くのですが、途中で誰にも言わず違う大学に変更。26歳付近で音信不通になりまして、タイムリミット過ぎてから帰国。当然、親、親戚一同、許してくれません。今思うと、やり方がよくなかったな・・と。でも、これしかなかったんですよね。それだけ家業は継ぎたくなかった。

で、まぁ親からは「これからどうするのか?」と聞かれるわけですが、この時勢い余って言ったのがアメリカで弁護士になる、でした。あまり勉強はできる方ではなかったので、周りは唖然としていましたが、そこから浪人などしてなんとかここまで・・・。

なので、私はアメリカンドリームでもないし、大志を持って渡米したわけでもないのです。アメリカは単なる逃亡先だったんですよね。。そんな自分に、アドバイスをしてくれて激励してくれたのがS会長です。この頃は結構孤独だったので、S会長との出会いがなければ心が折れていた可能性はあります。

amazarashiの「未来になれなかったあの夜に」を聴きながら、本当に感謝。もっと頑張ろう。

www.youtube.com